「駅からハイキング」(49)<はむらの水と緑・史跡めぐりハイキング>に参加しました。

5月2日のブログ」に書きましたが、JR主催の「駅からハイキング」が一昨年4月からリニューアルされ参加しています。2016年度(4月~3月)としては20回参加して190Kmを歩き、賞品のプレゼントに応募した所、当選して「C賞:ワンタッチスリムボトル(260ml)」をいただきました。2017年度(4月~3月)は25回参加して238Kmを歩き、プレゼントに応募しました。
第49回目は5月4日(金・祝)「はむらの水と緑・史跡めぐりハイキング」(5月1日~15日(火)に参加しました。<約8.0Km>『羽村市は多摩川中流域の自然と歴史が豊かな街で、360年前に玉川上水から江戸に大切な水を送り、今でも多摩川より取水された水が多くの市町に供給されています。はむらの水と緑・史跡めぐりでハイキングを楽しんでください。』
バス・JR八高線・青梅線を利用して9時前に「羽村駅」に着きました。少し暑さを感じる天気で駅前の「羽村市観光案内所」で受付をして地図とバッチを受け取りました。地図に沿って歩き「中里介山居宅跡」①の石碑を見ました。『長編小説『大菩薩峠』の作者で羽村生まれの中里介山の生家の跡です。』更に地図に沿って「稲荷緑地」②を歩きました。『立川崖線は多摩川により形成された河岸段丘で、東京都はこの段丘上に残る緑を保全していくため、この地域を「立川崖線緑地保全地域」に指定しています。羽村市内には多摩川と平行に「ハケ」と呼ばれる斜面地が広がり、その一部が「立川崖線緑地保全地域」に指定され、貴重な緑地として残されています。』羽村駅前の道に戻り、地図に沿って歩き「禅林寺」③に参拝しました。『島田九郎右衛門が開基となり、春覚禅師を開山に迎えて文禄2年(1593)に創建、「大菩薩峠」の作者中里介山居士の菩提寺。』その先の「羽村橋」を渡って左折すると「玉川上水第三水門」④があります。『大正12年に完成、村山・山口貯水池への8KMを導水管で送水。』ここから「多摩川」に沿って戻っていくと「羽村取水堰」⑤があります。『1653年、羽村の取水堰から江戸(新宿の四ッ谷大木戸)までの43kmに掘割(玉川上水)が造られ、多摩川の水が江戸住民の生活用水として使われていました。さらに関東平野への分水路(野火止用水等)も造られ江戸の農業発展の礎となりました。』ここから多摩川沿いの遊歩道を歩きました。途中に「根がらみ前水田」⑥がありました。『4月上旬から下旬にかけて約40万球の色とりどりのチューリップが咲き乱れます。』期待して行きましたが既に終わっていました。右折して歩き「一峰院」⑦に参拝しました。『一峰院は、平将門の末裔という三田雅楽助平将定が開基となり、玉英賢韜(応永34年1427年寂)を開山に迎えて応永31年(1424)に創建されました。』地図に沿って歩き、「阿蘇神社」⑧に参拝しました。『推古天皇9年(601)神託により清地を築き、健磐龍命より賜った霊物(玉)を鎮め祀ったことに始まる。承平年間(931~38)平将門によって初めて社殿が造営された。御神木のシイの木はこの時秀郷が手植えしたものと伝えられ樹齢800年以上である。』地図に沿って歩くと、「製糸工場跡」⑨があります。『養桑業が盛んな頃の製糸工業跡で今は「羽村西小学校」になっています。』ここから更に地図に沿って竹林を過ぎると「小作取水堰」⑩があります。『小作取水堰は、多摩川の水をせき止め、山口貯水池(狭山湖)に送水するための堰です。1980年(昭和55年)完成。』ここからも地図に沿って歩き「松本神社」⑪に参拝しました。『河津祐康の臣某が建久年間(1190-1199)伊豆下田から移住、その子孫が稲荷社を創建したといいます。明治2年(1869)松本神社と改称。江戸時代には将軍の鷹狩り場。』更に地図に沿って歩くと「小作緑地公園」⑫があります。『多摩川の河原までの段丘高低差が約45mの崖となっている。羽村には河岸段丘(ハケ)が多く存在している。』ここから「JR小作駅」に11時40分にゴールし、駅前の「中華料理:香萬園」でランチ(580円)を美味しくいただいた。この後、JR青梅線・八高線・中央線を乗り継いで「西八王子駅」から「長房ふれあい祭り」の会場に出かけました。(ハイキングでの歩数:19千歩)
私の「ホームページ」に掲載します。
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<⑤羽村取水堰>
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<⑦一峰院>
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<⑧阿蘇神社>
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<⑪松本神社>

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