「日本橋七福神巡り」をしました。

2019年1月5日のブログ」に書きましたが、平成15年から毎年正月には「七福神めぐり」をしている。「奥州仙台七福神巡り」、「羽州山形七福神巡り」、地元の「八王子七福神巡り」から、多摩・武蔵野地区の「日野七福神巡り」、「青梅七福神めぐり」、「調布七福神めぐり」「武蔵野吉祥七福神めぐり」「武蔵五日市七福神めぐり」「東久留米七福神めぐり」を完了しました。そこで、これからは東京都内を巡る事にし、江戸最古の七福神巡りと言われる「山手七福神巡り」、「東京スカイツリー」のある「隅田川七福神巡り」「葛飾柴又の七福神巡り」私が勤務していた「港七福神めぐり」東京ドームに近い「小石川七福神巡り」に行きました。又、3年前の10月には「JR駅からハイキング」で「雑司ヶ谷で七福神巡り」をしました。3年前は1月3日(日)江戸文化発祥の地と言われる浅草の「浅草七福神」に行きました。そして一昨年は1月3日(水)「東京下町八福神巡り」をしました。昨年は1月3日(水)「新宿山の手七福神巡り」をしました。又、5月2日には「令和記念:八王子八福神巡り」もしました。
今年は1月3日(水)「日本橋七福神巡り」をしました。ここは日本橋通りや人形町通りと江戸下町の伝統を持つ繁華街で、短時間で巡拝できると言われています。バスと電車を乗り継いで午前10時過ぎに「大手町駅」に着きました。地下鉄の駅を出て少し歩くと「読売新聞ビル」があり、すでに「箱根駅伝」のゴールを見る人が多数集まっていました。今日は「箱根駅伝」の復路をラジオを聴きながら歩きました。
まずは①「椙森神社」(恵比寿神)を参拝し「色紙」を購入しました。『遠く一千年の昔創建にして今日に 至るも年々盛大に、祭典を執行せり。江戸時代 の富興行を記念した富塚があり、宝くじ祈願の参拝者も多い。』次に②「笠間稲荷神社」(寿老人)に参拝しました。『日本三大稲荷のひとつ茨城県・笠間稲荷神社は笠間藩主牧野家に より代々厚い信仰が寄せられてきた。江戸時代末期安政6年 (1859)藩主牧野真直公が笠間から御分霊を江戸下屋敷(当地) に奉斎したのが始まり。以降、日本橋魚河岸の 守り神として、五穀・水産・殖産興業の守護神として商人庶民問わず広く信仰を集めた。』次に③「末廣神社」(毘沙門天)を参拝しました。『慶長元年(1596年)以前に稲荷祠として鎮座。この地にあっ た葭原(吉原)の氏神として信仰された。延宝3年の社殿修復の 際に中啓(末廣扇)が見つかったことから末廣神社と名付けられる。』次に④「松島神社」(大国神)を参拝しました。『鎌倉時代の元亨(1321) 以前と推定される。 昔この辺りが入り海であった頃小島があり、柴田家の祖先が下総 の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請し、夜毎掲げる 燈火を目標に、舟人が航海の安全を得たと伝えられる。天正13 年(1585)邸宅を公開。島内松樹鬱蒼たるにより、人々 松島稲荷大明神と唱えた。』次に⑤「水天宮境内にある宝生弁財天」に参拝しました。『久留米藩第9代藩主、有馬頼徳公が、加賀 藩第11代藩主、前田斉広公と、宝生流能楽 の技を競われた際、弁財天に願をかけ、見事に勝利を収め、それ 以来、宝生弁財天と敬われている。』次に⑥「茶ノ木神社」(布袋尊)を参拝しました。『昔この土地は徳川時代約三千坪に及ぶ下総佐倉の 城主(十八万石)大老堀田家の上屋敷であって、この神社はその 守護神として祀られたものである。』最後に⑦「小網神社」(福禄寿)に参拝しました。『稲荷神を主 祭神とする小網神社は約550年前の文正元年(1466年)悪疫鎮静の 神として鎮座。太田道灌公の崇敬も篤く、社名も道灌公が名づけ たといわれます。』以上で「日本橋7福神巡り」は終了したが、非常に参拝者が多く、今回は殆どの神社で遠くから参拝させていただき、ご朱印のみをいただいた。(本日の歩数:12千歩)尚、「箱根駅伝」は青山学院大学が2年ぶり5度目の優勝を新記録で達成した。
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<①椙森神社>
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<⑤水天宮境内にある宝生弁財天>
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<⑦小網神社>
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<日本橋7福神巡り色紙>




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