「東日本大震災」から10年が経過しました。<その一>

10年前の3月11日(金)に発生した「東日本大震災」から今日で10年が経過しました。当日を思い出すために当日の「ブログ」を再掲載します。
2011年3月12日のブログ」に書きましたが、3月11日(金)「東京セキュリティーショー」を視察する為に、東京お台場にある「東京ビッグサイト展示場」に行きました。見学していた午後2時46分、突然大地震が発生しました。大勢の入場者があり、一瞬パニック状態になりましたが、私は大きな柱にしがみついていました。天井が落ちる心配がありましたが幸い会場内での被害はありませんでした。然し、さすがに今まで喧騒に包まれていたブースでの説明は止まっています。会場の外に出ると多くの方が心配そうに佇んでいます。その内、会場に来ている「りんかい線」「ゆりかもめ」が止っているとの情報が入ってきました。そこで、バス乗り場を見ると運行している様子で既に列ができています。「東京駅行」には長い列ができつつありますが、「浜松町駅行」は少ないので直ぐに並びました。その内、「展示会」中止の放送があり益々列が長くなってきました。「東京駅行」は少しづつバスが来ますが「浜松町行」のバスは全く来ません。40分ほど経過した時、担当者と思われる方がバスは来ないと言いました。そこで、「フェリー」があるのに気が付き乗り場に移動しました。そこにも大勢の人がいますが運行が何時になるか不明だとの事です。私はここであきらめて午後4時過ぎに歩く事にしました。目標は地下鉄の「豊洲」「月島」にしました。同じ考えの人が多数列を作って歩いています。約2時間で「月島」に着きましたが、ここで全ての地下鉄・JRが運休している事を知りました。大勢の列が出来ている所は「固定電話」と「バス乗り場」です。ここで、取り敢えず牛丼を食べました。コンビニ・食堂はどこも混雑しています。ここから、土地勘のある「有楽町」に歩いて行く事にしました。途中銀座三越では家内と二人の娘に「ホワイトデイ」のプレゼントを購入しました。空いているのに驚きました。有楽町では大学の倶楽部がありますが、地震の為閉鎖されていました。暫くJRや地下鉄が動く事を期待して窓口に立ったり、路上に座ったりしていましたが全く進展がありません。常に「NHKラジオ」を聞いていましたが、東北地方の地震状況や津波情報ばかりで東京の電車の運行状況の情報はありません。今日はこのままコンクリートの上で夜をあかすのかと心配になってきました。そこで、数軒の飲食店を巡りやっと席を確保できました。暫く、コーヒーを飲んでいると午後9時20分「都営三田線」が動くとの連絡で電車に飛び乗りました。「神保町」駅で「都営新宿線」に乗り換えると又運休との事、これも22時過ぎに動きました。最後、新宿から京王線に乗り換えると丁度22時39分「各駅停車」のみが動き出しこれに乗る事ができました。24時に「めじろ台駅」に着くとバスは無くタクシー乗り場は長蛇の列です。私は娘の家に置いてあったバイクに乗って帰宅しました。家内も心配してくれていました。帰宅してテレビを見ながらラジオでは味わえなかった多くの被害を見ました。私の短くて長かった経験は無事に終える事が出来ました。
然し、実際に体験してもっと情報が適切に欲しいと痛感しました。特にお台場で交通手段が無くなった時、どの方向にどの程度歩けば何処に行き、どのような交通手段・サービスが受けられるかの情報が必須であると思います。途中の築地で「防災ガイドマップ」をいただきましたが、このような地図をお台場でもいただきたかったと思います。私は幸い自宅にたどり着きましたが多くの方が都心で夜を明かされたそうです。(以上)
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<長蛇のバス乗り場>
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<お台場風景>




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この記事へのコメント

通りすがり
2021年03月18日 00:22
私は当時調布に住んでおり代々木に勤めておりまして、京王線が動くとの情報を得て急いで代々木から新宿まで歩き、グランパさんと同じ電車に乗り帰路に着きました。当時は災害時にも電車を動かそうという京王電鉄の社員の皆さんの頑張り、そして災害に強い京王線に感銘を受けたものです。当時の詳細な記載がありましたのでふと当時の思い出が蘇りコメントさせていただきました。重大な災害を振り返るきっかけを作っていただきありがとうございました。